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東京高等裁判所 昭和49年(う)3050号 判決

被告人 白鳥次雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人榎赫作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事伊藤幸吉作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。

所論は、まず、被告人は、本件交差点の手前で一時停車中および発進の際には、バックミラーを見て左方の安全を確認したものであるから、右確認を全く怠つた旨認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある旨主張する。

そこで、検討すると、被告人は、司法警察員および検察官の取調べに対し、いずれも、本件交差点で左折するに際しては自車の左側の安全を確かめなかつた旨供述しているものであつて、当時被告人が進行してきた道路の交通量が極めて少なかつた事実とあわせ考えると、被告人は、検察官に対して供述しているように、本件交差点で左折をするに際しては、自車の左側に自転車等が進入してくることはないと思いこんでいたために、また、左方道路の右交差点の手前に停車した自動車の動向に気をとられたこともあつて、自車の左側の安全を全く確かめなかつた可能性は十分にあるものと認められる。

もつとも、この点につき、被告人は、原審公判廷においては、右事実を極力否定し、自分は右一時停止中および発進に際してはバツクミラーを見て左側の安全を確認したものであつて、取調べを受けた警察官や検察官にもその旨申し述べたのであるが、右警察官や検察官は、左側の安全を確認していれば、本件事故が起きる訳がないといつて自分の弁解を全く取り上げてくれないので、自分は左側の安全をいちおう確認していたのであるが、さらに十分な確認を尽くしていたならば、本件事故は起きなかつたかも知れないと考え、右確認をしなかつた旨記載されている供述調書に署名押印してしまつた旨の弁解をしている。そして、被告人は、永年にわたりトラツクの運転手として自動車の運転に従事しているのに、昭和四二年、四三年に合計三回道路交通法違反の罪で比較的少額の罰金刑に処せられたことがある他には全く交通事犯の前科がないことからみても、平素無謀な運転をしていないものと認められ、また、被告人の自動車の運転席からは同車の左側ドア前部に接近して立つている人の姿は死角となつて全く見えないこと等の事実をあわせ考えると、被告人は、原審公判廷で供述するように、右交差点の手前で一時停止中および発進に際しては、いちおうバツクミラーで左方の安全を確認したものであつて、それにもかかわらず、被告人が自転車に乗つた被害者の姿を見落としたのは、被害者が被告人の自動車の後方からその左側に進入してきた際には、バツクミラーを注視しておらず、被害者が被告人の自動車と並んでからは、その姿が死角に入つて被告人の運転席から見えなくなつたからであることをうかがうことができ、前記のように被告人が左方の安全の確認を全く怠つたと断定するには、なお合理的な疑いが残るといわなければならない。

したがつて、この点において、原判決には事実を誤認した疑いがあるけれども、後に判示するように、被告人には右一時停止中および発進に際しては、絶えず自車左側のバツクミラーを見るなどして自車の左側に進入してくる自転車等を捕捉すべき注意義務があつたものであるから、被告人が右注意義務を全く怠つたのではないとしても、右のようにこれを十分に果さなかつたものと認められる以上、右事実の誤認は判決に影響を及ぼすものではないことが明らかである。

所論は、次に、被害者運転の自転車は、本件交差点で左折を開始した被告人の自動車の後方から高速度で進行してきて同車に衝突したものであつて、被害者の傷害は、右衝突により転倒した際路上に強く打つたために生じた可能性が大きいから、右両車が同時頃発進したものであつて、被害者の傷害が被告人の自動車の左後輪を被害者の右側腹部に接触させたために生じた旨認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある旨主張する。

しかし、本件被害者は当時三九歳の分別盛りの年齢であつて、所論のような無謀な自転車の運転をするものとは容易には考えられないうえ、被害者は本件事故により骨盤、左肋骨の骨折、右腎、肝右葉の破裂等を伴う腰部、側腹部、下肢の挫滅等の傷害を受けたものであつて、右傷害の内容にかんがみると、それが所論のように単に路上で強く打つたことにより生じたものとはとうてい考えられず、また、被害者の妻村上静子の原審における証言によれば、同女は、被害者の存命中同人から、同人が被告人の自動車と並んで信号待ちをしていたが、信号が青になつたので、真直ぐ前進したら、急に車が左折して来た旨はつきり聞いている(なお、内山清隆の検察官に対する供述調書抄本の中にもこれと符合する記載がある)のであつて、以上の事実関係に照らすと、本件事故は原判示の経過により発生したものであることが明らかである。

また、所論は、被害者が本件事故によつて受けた傷害と死亡との間の因果関係を争うけれども、被害者は本件事故によりさきに判示した腰部、側腹部、下肢の挫滅等の傷害を受け、右挫滅部における桿菌感染による膿瘍に起因する敗血症性シヨツクにもとずき死亡したものであつて、右被害者の受けた傷害が相当程度の重傷であつたことにかんがみると、右傷害が死亡の直接の原因ではないとはいえ、両者側に因果関係があることは明らかであり、なお、所論にかんがみ記録を精査しても原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものとはとうてい認めることができない。

論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(理由不備の主張)について。

所論は、本件において被告人からみて被害者の姿が死角に入つていたとすれば、本件事故は避けられなかつたものであるから、被告人に責任を問うには、被害者の位置と死角との関係を明らかにすべきであるのに、原判決はこれを明らかにしていないから、原判決には理由不備の違法がある旨の主張である。

しかし、さきに判示したように、被害者運転の自転車は、被告人の自動車が本件交差点の手前で停車中、その後方から同車の左側に進入してきたものであつて、被告人の自動車の左側に並んで停車した際には、被告人からみて死角に入つた可能性があるとはいえ、それに至るまでの被害者の姿は被告人の位置から見えており、後に判示するように被告人としてはその姿を捕捉すべきであつたものであり、また、本件の罪となるべき事実を判示するに際し、右のような被害者の位置と死角との関係を一々判示することを必要とするわけではないから、原判決には所論のような理由不備の違法はない。

論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(法令適用の誤りの主張)について。

所論は、原判決は、本件において被告人には、一時停止中もできる限りバツクミラーを見て自車左側に進入してくる二輪車の捕捉に努めるとともに、発進の際にはあらかじめバツクミラーにより進入車の有無を見て、左側の安全を確認しながら左折を開始する業務上の注意義務があつた旨判示しているけれども、本件のように被告人が左折の準備態勢に入つていた場合には原判示の注意義務がないことは、最高裁判所昭和四六年六月二五日判決(刑集第二五巻第四号六五五頁)に徴しても明らかであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある旨主張する。

そこで検討すると、まず、原判決が挙示する各証拠(および、被告人の原審第五回公判廷における供述)を総合すると、被告人は、本件において、大型貨物自動車を運転して原判示の交差点に南方から差しかかり、右交差点を左折するべくその約五〇メートル手前から左折の合図をして進行したが、右交差点の信号機が黄色の表示となつたので、右交差点南側横断歩道の手前の自車左側と道路左側端との間隔が一・五メートルとなる地点で、右信号機が青色を表示するまでの少なくとも三〇秒以上の間一時停車をしたこと、被告人の自動車の運転席からは同車の左前部が死角となつていて、同車の左側バツクミラーによつては同車のすぐ左側に同車と並んでいる自転車等の姿を見ることはできないことが認められる。

ところで、車両が左折するに際してはできる限りあらかじめ道路の左側に寄らなければならないのであつて、司法警察員作成の昭和四八年一二月三日付実況見分調書および原裁判所の検証調書によれば、被告人の自動車は内輪差の大きい大型車であるとはいえ、本件交差点で左折をするに際しては、本件において被告人が行なつたよりさらに道路の左側に寄ることができたものとうかがわれるが、この点は不問にするとしても、右のように、被告人の自動車は、運転席からはその左前部が死角となつており、また、本件においては道路の左側端から一・五メートルの間隔、すなわち、その間に自転車等が十分に進入しうる間隔を置いた地点で、信号機の信号に従い三〇秒以上の間停車していたものであるから、その間に後ろから自転車等が被告人の自動車の左側に進入して右死角に入ることは十分に予想されるところであり、したがつて、被告人としては、発進に際して自車左側のバツクミラーを見ることはもちろん、右停車中も絶えず右バツクミラーを見るなどして、自車の左側に進入してくる自転車等を捕捉して、これらとの衝突を未然に回避すべき注意義務があるものと解すべきである(当裁判所昭和四六年二月八日判決、高裁刑集第二四巻第一号八四頁参照)。しかるに、本件において、被告人は、さきに判示したように、右注意義務を全く怠つたものではないとしても、これを十分に尽くさなかつた結果、自転車に乗つた被害者が被告人の自動車の後ろからその左側に進入して同車と並んで停車し、信号機が青色の表示に変つてから同車と同時に発進したのを見落とし、同人を自車に衝突させたものであつて、被告人の本件所為が義務上過失致死罪に該当することは明らかであり、なお、所論の引用する最高裁判所の判決は、加害者が左折に際し停車をしておらず、また、被害者が交通法規に違反した事案に関するものであつて、本件とは事案が異なるから、これをそのまま本件に適用することはできない。

したがつて、原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(量刑不当の主張)について。

本件は、被告人が大型貨物自動車を運転して交差点を左折するに際し、その手前で道路左側端と一・五メートルの間隔を置いて三〇秒以上停車したのに、自車左側を直進する自転車等の有無の確認を怠り、折から自転車に乗つて右交差点を直進しようとした被害者の姿を見落したために、同人を自車に衝突させて死亡させたものであつて、最近この種の事故は跡を絶たず、その結果が重大であることにかんがみると、被告人の刑事責任は軽視されるべきではない。

しかし、本件事故については、被害者側においても被告人の自動車の動向に僅かの注意を払つていれば、本件事故を避けえたことから考えると、被告人の過失の程度は必ずしも大きいものではなく、なお、被告人は永年トラツクの運転手として自動車を運転しているのに、昭和四二、四三年に三回道路交通法違反の罪で比較的少額の罰金刑に処せられた他には前科がなく、また、被告人および被告人の勤務先の会社が被害者側の慰藉に努めた結果、原判決言渡し後、関係者の間で円満に示談が成立したことなどの情状をしんしやくすると、本件については少くとも現在においては原判決が言い渡した禁錮八月の刑に執行猶予を付するのが相当であると認められる。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第二項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但し書により被告事件につきさらに判決する。

原判決が確定した事実に原判決挙示の法令を適用して、被告人を禁錮八月に処し、さきに判示した情状により刑法第二五条第一項を適用して右刑の執行を猶予することとし、右猶予の期間については、本件犯行の内容(とくに、被告人の過失が必ずしも大きいものではないこと)ならびに、被告人は前科の内容などからみて再犯の可能性が高いとは認められず、現に本件犯行後すでに一年以上再犯を犯すことなく経過していることなどにかんがみ、これを二年と定めることとし、主文第四項の訴訟費用の負担については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田信孝 瀬下貞吉 竹田央)

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